2012年03月03日
おきなわでの7年間①

はいさい!
2005年、
高校の卒業式が3月8日(誕生日)とかだった気がする。
と、同時に琉球大学の合格発表の日でもあった。確か。
仲の良かった保健室の先生に、代わりに合格発表を見てもらって、
自分は卒業式にでてて、
それで卒業式終わって、保健室行ったら、
「琉球大学、合格してたよ!」
・・・
そんな感じだった気がする。
あの時は18才。ちょうど自分が18才になった日に、
沖縄行きが決まったのか。今思えば。
誕生日プレゼントだったのかな。
沖縄生活。
・・・
そして2005年の3月の下旬に沖縄にきた。
■大学1年(2005年4月~2006年3月)■
誰も知り合いがいない、沖縄。
まず初めて友達ができたのは、大学の寮。
南星B棟。
自分と同じように県外の人が主。
「楽しい棟と、静かな棟と、普通の棟と、どこに入りたい?」
と、聞かれ、
楽しい棟、と答えたら、
「じゃあこのクジひいて」
ということで、南星B棟2Fと書いてあるクジを渡され、
それから寮生活が始まった。
予想できない事態が起こっても、割と臨機応変に対応できるようになったのは。
この寮に入ったおかげだと思う。
そして、出会えた最高の友達。
寮生。
学科も出身地も違うけれど、
なんとなく、なんか似てるんだか、似てないんだか、
とにかく、とっても空気間が心地よかった。
学校にはあまりまじめにいかず、
授業も寝過ごし、
とっても好きな人ができ、
付き合い、
ふられ、
毎日居酒屋に行き、
りきにつきあってもらって、
なぐさめられ。
バイクでこけて、バイトの面接落とされて。
大晦日は、辺戸岬から琉大まで100キロマラソンに挑戦した。
100キロ走りきったら、
もう一回告白しようって。
でも無理だった。w
読谷で自販機でジュース買った瞬間、下半身全部つって、、、w
先輩に電話して迎えにきてもらってる間に、
花火の音がして、
年があけたな。
3月ぐらいには、
石垣島に一人旅をしたなぁ。大阪に帰るリキを寮生みんなで、
見送りに夜中に空港にいって、空港の近くで飲んでたら、
翌朝早朝の便で大阪に向かうりきに触発されて、
その場でスカイメイトで石垣島行きの飛行機のチケット買って、
財布と携帯だけもって、ちょっと二日酔い気味で石垣にいったなぁ。
そこで、同じく一人旅をしてた、電通の社員の人と出会ったんだ。
竹富島で、海でもずくとったり、島のおじぃの話し聞いたり、みんなで飲んだり。
たのしかったなぁ。
それで帰って来て留送会やって。。。
大学2年になって。
とにかく、
毎日遊んでばっかだったな、大学1年。
将来のこととかなにも考えず、ただただ楽しい毎日が流れてた。

■大学2年(2006年4月~2007年3月)■
大学も2年になって、寮にも後輩が入って来て、
寮で2Fのユニット長になって、
留送会やら、ユニットドライブやら、ユニットキャンプなんかの企画をした。
仕事全くできなくて、ゆーたろーにほとんどやってもらったような気が。。。w
その他にも、寮の新歓みんなでつくったりとか、
12月の寮祭、企画したり。。。
類志がなんか切れて、面白かったなぁ。
みんなでけんかして、
ダンボールに、ケツメの幸せをありがとうの歌詞書いたな。
寮祭、たこ焼き売って、楽しかったなぁ。
そんなこんなで、
バイトも初めて(学校近くの居酒屋つぼはち)
とっても最初バイトの先輩が嫌いで、
まじでいなくなればいいのにとか思ってたのに、
気がついたら感謝しかできなくなってて、
バイトの人たちもとってもいい人たちばっかだった。
あと、
学科では英語劇もやったな。
大道具係で、、、楽しかったな。
夏休みも練習とかで学校いったりして、、
大学2年は、
寮のユニット長やら、バイトをつぼはちで始めたり、学科の英語劇だったり、
割と慌ただしく過ぎた1年だった。

■大学3年・休学(2006年4月~)■
大学3年、寮をでた。なんか一人の時間が欲しかったから。w
でも寮の友達はとっても好きだよ。w
そんなこんなで、大学3年、ちょびっと将来のことを考え始める。w
「やりたいことなんかねぇ。・・・バックパッカーとかしてみたい!旅したい!ハワイ行きたい!」
みたいな感じで、、、
ハワイ大学の交換留学に向けて、TOFELを猛勉強した。
それまで、大学で全く勉強してなかったのに、
交換留学の試験通るのに、
成績も評価されるから、
大学3年の前期だけ、ALL優とったり、
バイト終わって夜中から朝までTOEFLの勉強したり、、、
大学2年の時にToeic250点ぐらいだったのに、
TOEFLはPBTで最終的に510点とかになった。
でもちょっとハワイ大学の基準に足りなくて、
結局方向転換して、ワーホリでオーストラリアに行くことに決めた!
んで、お金貯めるために、滋賀のダイハツの車工場いって働いたり、
バイト無理いってやめさしてもらったり、、、
色んなドラマがあったな。
んで、気分うきうきで
2008年の1月に日本を出発、
シドニーのボンダイビーチハウスっていうゲストハウス一週間だけ
予約して、1年間のワーホリ生活が始まった。
■休学中・ワーホリ@オーストラリア(2008年1月~2009年1月)■
空港ついた瞬間、なんにもわからなくなった。w
地下鉄の乗り方もわからんし、
地下鉄から街にあがっても、右も左もわからないし、
まわりの人がしゃべってる言葉もわからんし。w
なんとかして、
シドニーのボンダイビーチハウスに到着。
そこで同い年くらいの日本人の女性いくさんに出会って、
ゲストハウスのオーナーのロブを紹介してもらって、
そこでハウスキーパーとして住みながら、働かせてもらえることになって。
仕事と住むとこ両方ゲット!みたいな。
ボンダイビーチハウスでも色んな出会いがあった。
色んな国の人が入れ替わり立ち代わり泊まりに来た。
オーナーのオーストラリア人のおっちゃんロブに憧れた。
ロブをしたって世界中からリピーターが来る。
こんなおっさんになりたいと思った。
かっこいい大人だった。
そのとき、21才。
将来のことをぼんやり考え始めた時期に、
今思えばロブみたいなカッコいい大人に出会えたことは、
とってもありがたいことなのかも。
仕事は、朝9時ぐらいに始めて、
部屋掃除したり、
ベッドメイキングしたり、
シーツとか洗濯したり、
みんなでバーベキューしたり。
楽しかった。
昼過ぎに仕事が終わったら大体は海に行ってたかも。
サーフィンも始めた。
波の上にいるときはとっても気持ちよかった。
自然て偉大って思った。
フランスからきたおばちゃんとか、
イスラエルからきた同い年くらいの女の子とか、
イタリアのちょっと年上の兄ちゃんみたいな人とか、
いっつもてきとうなオーストラリア人のスティーブとか、
めっちゃ優しいカナダ人のアマンダとか、
イギリス人のマネージャーのサムとか、
大工仕事とか電気関係とか何でもできるチェコ人のジョセフとか、
タヒチ出身のごっつい体した人とか、
宿のスタッフもみんな個性的で、
スタッフみんなで、ひとつの家族みたいだった。
オーストラリアで、色んな背景、色んな価値観、育った環境も違う人たちにであって、
こんな生き方もあるんだ、、、ってそんなことを初めて想った。
自分の中で、オーストラリアで過ごした1年はでかかった。
■ルーツとの出会い・伊江島・海士町・コザ・大学復学(2009年2月~2009年9月)■
オーストラリアから帰って来て、
暇そうにしてたら、
大学の友達の光に誘われて、
ルーツという人材育成をやってる会社のお手伝いで、
久高島で行われた島未来会議という地域活性のイベントにスタッフとして参加。
そこで出会ったのが、伊江島のうみんちゅの古堅さんだったり、海士町の教育委員会で働く岩本悠さんだったり、その当時北海道で活動してた島田さんだったり、スタジオLの山崎さんだったり。
そんな人たちに出会って、また想った。
この人たちなんか楽しそうに生きてる。。。
的な。
たぶん楽をしてるとかではなく、それぞれ信念を持って、毎日を一生懸命に生きてるからこそ楽しいんだと思う。
そこでのつながりがきっかけで、
4月~7月まで伊江島で生活することに。
タバコ農家でアルバイト。
農家の人にとってもお世話になったし、
うみんちゅの古堅さんに、自分の人生自分で流れを創って生きろよ、って言われたり、
アルバイト仲間で島に恩返しっていうテーマでビーチクリーンやったり。
楽しかった。
そして次に誘われていったのが、島根県の離島の海士町。
やたら地域活性のニュースで取り上げられる島。
どんな人たちがいるんだろうってことで、
知り合いが島で働いてたということもあって、
7月~9月まで島で住むことになった。
とってもよかったー!
性格とか興味は全然違うけど、すんばらしく、フィーリングがあう同い年の同居人、
のしょうちゃんとも出会えたし。
ほかにもたくさんの面白い人たちに出会えた。
そんなこんなで、島根の離島で2ヶ月ぐらいくらして、
いよいよ大学復学のために沖縄に戻ってくることになる。
それが、3年前くらいの10月か。22才?
そこからまた、はちゃめちゃだったな。
・・・
ていうか長っ!w
ちょっと疲れたので休憩なう。w
http://www.youtube.com/watch?v=o-oOn58AXUA
Posted by genboy at 15:54│Comments(0)
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